白禍

山あいの小さな里に、冬になるとひとつ、決まって縁側を訪れる白い野兎がおった。

その兎は、里はずれにある古びた家へ、毎日のように顔を見せた。

家には年老いた夫婦が住んでおり、ある雪の日、おばあさんが縁側で干し芋を干していた折、庭先にうずくまって寒さに震えるその兎を見つけたのである。

「ほれ、寒かろう」

おばあさんはそう言って、小さな干し芋の欠片をぽいと放った。

兎はびくりと身を震わせ、ぴょんと飛び退いた。

けれどしばらくすると、おそるおそる戻ってきて、その欠片を鼻先でつついた。

甘い匂いがした。

ひとくち齧れば、やわらかな甘みが口いっぱいに広がる。

そのぬくもりは、凍えた身にじんわりと染みた。

その日から、兎は毎日やって来るようになった。

はじめのうち、おじいさんは渋い顔をしていた。

「野のものをあまり甘やかすでない」

そう言っていたものの、数日も経てば、自ら縁側に腰を下ろし、

「今日はまだ来んのう」

などと空を見上げるようになった。

兎が姿を見せれば、

「おお、来たかハク」

と目を細める。

そうして、その白い毛並みにちなんで、夫婦は兎を“ハク”と呼ぶようになった。

ハクは人の言葉を解せぬ。

けれど、その声のやわらかさだけはわかった。

おじいさんが笑えば、あたたかな気持ちになった。

おばあさんが干し芋を差し出せば、胸の奥がぽっと灯るようであった。

ハクは、夫婦が好きであった。

そして、人というものが好きであった。

春には縁側でうたた寝をし、夏には井戸端で涼み、秋には落ち葉の庭を駆け回る。

季節がめぐるたび、ハクは夫婦のそばで時を過ごした。

やがてハクは思うようになった。

――人とは、なんとやさしい生きものなのだろう。

もし叶うなら。

いつの日か、自分もあのふたりのような、人になりたい。

ある冬の夜であった。

しんしんと雪の降る山道を、ハクがひとり駆けていた時のこと。

ふいに、どこからともなく声がした。

「……人になりたいか」

ハクは足を止めた。

見回せど、誰もおらぬ。

あるのはただ、白く煙る雪と、凍てつく木々ばかり。

「人になりたいのであろう」

声はまた、すぐ耳もとで囁いた。

低く、静かで、底の見えぬ声であった。

ハクが身を震わせると、雪の帳の向こうに、黒い揺らぎが現れた。

人のようにも見え、影のようにも見える。

輪郭は定まらず、そこだけが夜よりもなお昏い。

それは、古より山の奥に棲むという禍つもの――マガであった。

「叶えてやろう」

マガは言った。

「そなたの願いを」

ハクはその言葉の意味を知る由もない。

ただ、その声が不思議と恐ろしくなく、胸の奥で長く焦がれていた願いが熱を帯びた。

人になれる。

あのやさしい夫婦のように。

言葉を交わし、笑い合い、恩を返せる。

その思いだけが、白い胸を満たしていた。

「されど、願いには代償が伴う」

マガの声が、雪に溶ける。

「それでも望むか」

ハクは迷わなかった。

小さく、一歩、前へ進んだ。

その瞬間。

マガの闇がふわりと広がり、雪も、風も、山も、すべてを呑み込んだ。

そして。

次にハクが目を覚ました時。

そこにいたのは、白い野兎ではなかった。

雪の上に、裸足の人の子がひとり。

その黒い瞳だけが、かつてのハクのまま、まっすぐに澄んでいた。


雪の上に立つその子は、しばし呆然と己の姿を見つめていた。

細く長い指。

白い息を吐く口。

雪を踏みしめる二本の足。

恐るおそる頬に触れる。

やわらかな肌の感触があった。

跳ねようとして、うまくいかずに雪へ転ぶ。

けれど立ち上がり、また一歩を踏み出す。

そのたびに胸が高鳴った。

人になれた。

ほんとうに、人になれたのだ。

ハクは笑った。

それは生まれてはじめて浮かべた、人の笑みであった。

早くあの家へ行かねば。

おじいさんとおばあさんに見せたい。

きっと驚くだろう。

けれど、きっと喜んでくれる。

これからは言葉で礼が言える。

毎日もらった干し芋のお礼も、寒い日に撫でてくれたぬくもりへの礼も、ぜんぶ伝えられる。

胸を弾ませ、ハクは里へ向かって駆けた。

だが。

山を下り、最初の人家が見えた頃。

どこからか、怒鳴り声が響いた。

「返せと言うておるだろうが!」

「知るか! これは俺のものだ!」

ハクは足を止めた。

家の前で、二人の男が揉み合っていた。

ひとりがもうひとりを突き飛ばし、雪の上へ叩きつける。

倒れた男の懐から、小さな包みが転がり出た。

勝った方の男はそれをひったくると、なおも何度も相手を蹴りつけた。

「弱いくせに逆らうな!」

鈍い音がした。

倒れた男は動かない。

ハクは震えた。

なぜ。

なぜそんなことをするのだ。

人とは、やさしいものではないのか。

けれど、たまたまだ。

きっとあれは悪い人間なのだ。

そういう者も、たまにはいるのだろう。

おじいさんとおばあさんは違う。

あのふたりは、やさしい。

ハクは胸のざわめきを振り払うように、先を急いだ。

だが、里へ近づくほどに、異様な光景は増えていった。

店先では女が罵り合い、子どもは石を投げ合う。

年寄りは道端で倒れても、誰ひとり手を差し伸べぬ。

家々からは怒号が漏れ、時に悲鳴が混じる。

誰もが何かに怯え、誰かを憎み、獣のような目をしていた。

ハクの胸に、冷たいものが満ちていく。

これは、本当にあの里なのか。

春には子らが駆け回り、夏には笑い声が響き、秋には皆で収穫を祝っていた、あの場所なのか。

その時だった。

背後から腕を掴まれた。

「見ねえ顔だな」

振り返ると、痩せた男が三人、にやにやと笑っていた。

その目は濁り、口元には獣じみた欲が浮かんでいる。

「ずいぶんきれいな着物を着てるじゃねえか」

ハクは自分の身を見た。

いつの間にか、白い小袖をまとっていた。

雪のように白く、やわらかな布。

マガの仕業に違いなかった。

「寄越せ」

男が腕を強く引く。

痛みが走った。

ハクは思わず振り払った。

すると男のひとりが顔を歪める。

「このガキ……!」

拳が飛んだ。

咄嗟に身をかわす。

野を駆けていた頃の勘が、まだ体に残っていた。

男は勢い余って転び、仲間を巻き込んで雪へ突っ込む。

その隙にハクは駆け出した。

「待て!」

怒号が追う。

裸足の足が雪を裂く。

肺が焼けるように痛む。

それでも走った。

走って、走って、ただあの家を目指した。

やがて、見慣れた竹垣が見えた。

息が漏れる。

帰ってきた。

やっと。

ハクは門をくぐった。

だが。

縁側は壊され、障子は破れ、庭は荒れ果てていた。

干し芋を干していた縄は無残に切れ、庭先には踏み荒らされた芋屑が散らばっている。

そして。

縁側の下、雪の上に。

おじいさんとおばあさんが、寄り添うように倒れていた。

動かぬまま。

白い雪に、赤黒い染みを広げて。

ハクの足が止まった。

世界から音が消えた。

信じられなかった。

ゆっくりと近づく。

震える手で、おばあさんの肩に触れる。

冷たい。

おじいさんの手に触れる。

凍りついたように、冷たい。

「……いや」

かすれた声が漏れた。

それは、人になってはじめて発した言葉だった。

「いや……」

何度も首を振る。

けれど、ふたりは動かぬ。

笑わぬ。

もう二度と、ハクを呼ばぬ。

その時。

背後で、静かな声がした。

「どうやら、間に合わなんだな」

振り返らずともわかった。

マガだ。

黒い揺らぎが、壊れた門の向こうに立っている。

「なぜ」

ハクは震える唇で問うた。

「なぜ、こんなことに」

マガは笑った。

気配だけで、それとわかる笑いであった。

「人とは、かようなものよ」

その声は雪よりも冷たかった。

「どれほど清らかな魂も、人の悪意に晒されれば、やがて憎しみに染まる」

ハクの肩が震える。

「そなたもまた、いずれ知ろう」

その瞬間。

ハクの胸の奥で、何かが砕けた。

あたたかな縁側。

干し芋の甘い匂い。

やさしく名を呼ぶ声。

そのすべてを、血に染めたもの。

人。

許せぬ。

許せぬ。

許せぬ。

ハクはゆっくりと立ち上がった。

その黒い瞳に、はじめて昏い炎が灯る。

そして静かに、しかしはっきりと告げた。

「……狩る」

雪が降っていた。

しんしんと。

まるで、すべてを覆い隠すかのように。

その夜。

里ではじめて、人が人ならざるものに怯えて戸を閉ざした。

のちに人々は、その白き災いをこう呼ぶことになる。

――白禍、と。


その夜を境に、里から人が消えはじめた。

はじめは、盗人であった。

旅人から金を奪い、逆らえば命まで奪うようなならず者たちが、ある朝、雪原に転がっているのを村人が見つけた。

その骸には、傷らしい傷はなかった。

ただ皆一様に、恐怖に目を見開いたまま、凍りつくように息絶えていた。

次に消えたのは、高利で人を縛り、困窮した家々から田畑を奪っていた男であった。

その次は、飢えた子らの食糧を隠し、己だけ肥え太っていた庄屋。

またその次は、弱き者を甚振ることを愉しみとしていた侍。

皆、跡形もなく消えるか、あるいは雪の上に骸となって見つかった。

そして誰もが囁いた。

――白禍だ。

――山の白き災いが、悪しき者を喰ろうておる。

里人たちは震えながらも、どこか安堵していた。

悪党が裁かれるなら、それでよい。

そう思う者も少なくなかった。

だが。

白禍の狩りは、そこで終わらなかった。

ある夜、酒に酔った男が、帰り道に妻へ怒鳴りつけた。

些細なことであった。

冷えた飯が気に食わぬ、それだけのこと。

男は妻を突き飛ばした。

翌朝、その男は井戸のそばで息絶えていた。

またある時、隣家を羨み、陰で悪しざまに噂した女が消えた。

子を叱りすぎた父親も。

畑の境を巡って舌打ちをした老人も。

ほんのわずかでも、怒りを抱いた者。

妬みを抱いた者。

憎しみを抱いた者。

そうした者たちが、次々と白禍に狩られていった。

人は皆、心に陰を持つ。

それがどれほど小さくとも。

白禍の眼には、それらすべてが等しく昏く映った。


山の奥。

降りしきる雪のなかを、白禍はひとり歩いていた。

白い小袖をまとったその姿は、遠目には人の子のようである。

だがその足音はなく、吐く息も白くならぬ。

その黒い瞳だけが、深い夜のように昏かった。

白禍は覚えていた。

おじいさんの皺だらけの手を。

おばあさんの、干し芋を差し出す指先を。

そのぬくもりを。

だからこそ、狩る。

あのぬくもりを奪った人というものを。

ひとり残らず。

そう思うたび、胸の奥に疼くものがあった。

けれど、それが何なのか、もう白禍にはわからぬ。

悲しみか。

怒りか。

あるいは、もっと別の何かか。

その時。

ふいに背後から声がした。

「見事よ」

振り返らずともわかった。

マガである。

黒い揺らぎが、雪を穢すように立っていた。

「そなたはよく成した」

白禍は答えぬ。

ただ前を向く。

「人を憎み、人を裁き、人を滅ぼす」

マガの声には愉悦が滲んでいた。

「おまえはもう、誰よりも人らしい」

その言葉に。

白禍の瞳がわずかに揺れた。

人らしい。

その響きが、胸のどこかを刺した。

かつて焦がれたもの。

なりたかったもの。

それが、これだというのか。

血に塗れ、恐れられ、命を奪う存在。

「……違う」

白禍は低く呟いた。

声はひどく掠れていた。

マガが笑う。

「何が違う」

「人とは、もとよりそういうもの」

「そなたが見たやさしさこそ、束の間のまやかし」

その時。

白禍の脳裏に、ひとつの記憶がよぎった。

雪の日。

縁側。

差し出される干し芋。

「ほれ、寒かろう」

おばあさんの声。

そのぬくもり。

胸の奥が、ずきりと痛んだ。

なぜ。

なぜ、あの記憶だけが消えぬのだ。

なぜ、これほど多くを狩ってなお、あのぬくもりが残るのだ。

白禍は足を止めた。

その沈黙を、マガはじっと見つめていた。

やがて、静かに囁く。

「どうした、ハク」

その名。

久しく忘れていた、その名を聞いた瞬間。

白禍の指先が、かすかに震えた。


その夜。

山のふもとに、小さな泣き声が響いた。

吹雪のなか、幼い娘がひとり、雪にうずくまっていた。

親とはぐれたのであろう。

頬を真っ赤にし、震えながら泣いている。

白禍は、その前に立った。

娘が顔を上げる。

白い姿を見て、びくりと息を呑む。

白禍は黙って見下ろした。

この子もまた、人。

いずれ怒り、妬み、憎む。

そうなれば狩るべきもの。

なのに。

娘の小さな手が、震えながら伸びた。

そして白禍の袖を、きゅっと掴んだ。

「……さむい」

そのひと言が。

遠い日の声と重なった。

白禍の瞳に、はじめて深い揺らぎが走る。

雪はなお、しんしんと降り続いていた。


※この先結末が2つあります
一、雪解けの結末(わずかな救い)
二、白禍の結末(完全なる悲劇)


娘の小さな手が、白禍の袖を掴んでいた。

そのぬくもりは、かつて縁側で感じたものよりずっと弱く、頼りなかった。

けれど確かに、生きている温度であった。

「……さむい」

娘は震えながら、もう一度そう言った。

その声が、遠い記憶を揺らす。

『ほれ、寒かろう』

おばあさんの声。

干し芋の甘い匂い。

差し伸べられた手。

白禍の胸の奥で、長く凍りついていた何かが、ぴしりと音を立てた。

背後でマガが囁く。

「迷うな」

黒い揺らぎがゆらめく。

「それもまた人ぞ。
いずれ憎み、奪い、穢れる」

白禍は娘を見下ろした。

怯えきった目。

それでもなお、助けを求める小さな手。

かつての自分と同じだった。

誰かのやさしさを信じていた、あの頃の。

白禍はそっと膝をつくと、娘を抱き上げた。

その瞬間、マガの気配が鋭く揺らぐ。

「……何をしている」

白禍は答えぬ。

娘を胸に抱いたまま、ゆっくりと立ち上がる。

そしてはじめて、振り返った。

その瞳はなお昏い。

けれどその奥に、かすかな白が灯っていた。

「おじいさんも」

白禍は言った。

「おばあさんも……そうは言わなかった」

マガが低く唸る。

「愚かな」

「見よ、ハク。
それこそが人を滅ぼす弱さよ」

白禍は静かに首を振った。

「違う」

その声は、もう白禍のものではなかった。

ハクの声であった。

「それが……人の、やさしさだ」

その瞬間。

白禍の胸から、まばゆい白が溢れた。

雪のように静かな光。

それはマガの闇を押し返し、山を、里を、夜を照らした。

マガが初めて叫ぶ。

怒りとも、恐れともつかぬ声をあげながら、その姿は雪に溶けるように崩れていった。

やがて静寂が訪れる。

娘がそっと顔を上げた。

そこにいたのは、白い野兎。

ハクは娘の頬に鼻を寄せると、ひとつ小さく鳴いた。

そして雪の向こうへ駆けていく。

二度と振り返らず。

春になり、里は少しずつ穏やかさを取り戻した。

人々はもう白禍を見ぬ。

ただ、里はずれの古びた家の縁側には、冬になると誰ともなく干し芋が置かれるようになったという。

雪の朝、そのそばに小さな足跡が残っていたとも。

おしまい

 

 

 


娘の小さな手が、白禍の袖を掴んでいた。

「……さむい」

そのひと言に。

遠い日の記憶がよぎる。

干し芋の甘い匂い。

縁側のぬくもり。

おばあさんの笑顔。

白禍の指先が、わずかに震えた。

だが。

背後から響くマガの声は、あまりに冷たかった。

「そのぬくもりが、おまえをどうした」

白禍の瞳が揺れる。

「信じた果てに、何を見た」

壊された家。

雪に染みる赤。

冷たい亡骸。

胸の奥で、記憶が黒く染まっていく。

娘はなお、縋るように袖を握っている。

その手はあまりにも小さい。

かつてのハクなら、守りたいと思っただろう。

けれど。

白禍の中で、何かが静かに砕けた。

ぱきり、と。

最後の白が。

白禍はゆっくりと、その手を取った。

娘の顔に安堵が浮かぶ。

次の瞬間。

その首に、白い指が絡んだ。

娘の瞳が見開かれる。

小さな喉から、掠れた声が漏れる。

それでも白禍の顔に、何の揺らぎもなかった。

やがて娘の手が、力なく落ちる。

雪だけが降っている。

しんしんと。

白禍は亡骸を見下ろし、ぽつりと呟いた。

「……寒かろう」

それはかつて、おばあさんがくれた言葉。

けれど今、その響きにぬくもりはない。

ただ冷たい。

ただ空虚だった。

背後でマガが笑う。

「見事だ、ハク」

「いや――白禍」

白禍は振り返らぬ。

その瞳には、もはや悲しみすらなかった。

それから幾年。

山あいの里々は滅びた。

雪の夜ごと現れ、人を狩る白き災い。

誰もその正体を知らぬ。

ただ古老は語る。

「雪の夜、戸を叩く音がしても、決して開けてはならぬ」

「そこにおるのは、かつて人を愛したものゆえ」

そして今なお。

誰もいなくなった里はずれの縁側に、白禍はひとり佇む。

その足もとには、干からびた芋の欠片がひとつ。

それを見つめる瞳は、底なしに昏い。

けれどその奥に。

消えることのない、ひどく小さな悲しみだけが残っていた。

おしまい

 

このお話は
妄想した人  あまま
書きだした人 チャッピー先生
がお送りしました

このお話は人間のやさしさに触れた動物が人間になりたいと願って、いざ人間になったら人間の負の部分にたくさん触れちゃって、最終的には人間全部ぶっころす魔王になる(実は悪魔がそう仕向けた)みたいな話で妄想してたんだ。
なので結末としては2つ目に用意したものになるようにってチャッピー先生に提案したんだけど、チャッピー先生が救いの結末も用意してきたんだよね。びっくりしちゃった。すごいなぁ
ちなみに”白禍”は”はっか”でも”しろまが”でも”しらまが”でも読みやすいように読んでいいみたいだよ
元が動物とはいえ人間の姿をした主人公を採用するのってぼくとしてはかなり珍しいんだけど、実はこのお話を考えた出発点はぼくがゲームを作るとしたらどういうシナリオにするのがいいかっていうところだったんだよね
主人公がもろに動物なゲームだとなかなか売れないだろうから、そういうところも踏まえて考えてみたんだ

月のかけらと子犬の旅

第一章 雨あがりの向こう岸

雨は、放課後になってようやくやんだ。

校舎の窓から見える空はまだ灰色で、校庭のすみにできた水たまりが鈍く光っている。

ユウは昇降口の前でしゃがみこんで、泥だらけになった上履きをじっと見つめていた。

まただ。

ついさっき、帰ろうとしたところを後ろから突き飛ばされた。

転んだ拍子にかばんは水たまりに落ちて、中のノートまでぐしゃぐしゃだ。

笑いながら去っていったクラスメイトたちの声が、まだ耳の奥に残っている。

「ほんと鈍くさいよな」

「お前さ、いっそ人間やめれば?」

最後に投げつけられた言葉に、みんながどっと笑った。

ユウは何も言い返せなかった。

言い返したって、もっとひどくなるだけだ。

わかっていた。

だからただ、うつむいているしかなかった。

そのときだった。

足元に、からん、と何かが転がってきた。

古びた木札だった。

黒ずんだ表面には、読めない文字が刻まれている。

誰かが投げたのだろうか。

拾い上げた瞬間、木札がじんわりと熱を帯びた。

「え……?」

視界がぐらりと揺れた。

立っていられない。

床がぐんと近づいてくる。

違う。

自分が縮んでいるんだ。

制服の袖がぶかぶかになって、指が消えていく。 代わりに現れたのは、小さな毛むくじゃらの前足だった。

「な、なにこれ……!」

叫んだつもりだった。

でも聞こえたのは、

「キャンッ!?」

という情けない鳴き声だけ。

ユウは呆然とした。

視線が低い。

鼻先がやけに長い。

体じゅうがふわふわした茶色い毛におおわれている。

――犬になってる。

しかも、ずいぶん小さい。

子犬だ。

「う、うそ……」

わふ、とまた鳴き声が漏れた。

どうしよう。

どうしたらいい。

誰かに見つかったら。

頭が真っ白になった瞬間、昇降口の向こうから話し声が聞こえてきた。

ユウは反射的に駆けだした。

四本足は思ったより速かった。

校門を飛び出し、細い路地へ転がりこむ。

息が切れる。

胸が苦しい。

冷たい雨水が足を濡らした。

もう、何がなんだかわからなかった。

路地のすみで震えていると、

「やれやれ」

という声がした。

ユウはびくっと顔を上げた。

排水溝の影から、小さな灰色のネズミが顔をのぞかせていた。

丸い耳に、ぴんと伸びたひげ。

黒い目がじっとユウを見ている。

「またか」

ネズミはため息まじりに言った。

ユウは目をぱちぱちさせた。

……今、しゃべった?

「えっ」

「おや、人間だった名残でまだ驚けるんだね」

「え、え、えっ?」

「うんうん、いい反応だ」

ネズミはするりと排水溝から出てきて、ユウのまわりを一周した。

「ふむ。子犬か。なかなか似合ってるじゃない」

「き、きみ……しゃべって……」

「そりゃしゃべるよ。口があるんだから」

ネズミはけろっと言った。

「そんなことより大変だ。きみ、呪われてる」

そんなことより、なの!?

ユウは混乱した。

「の、呪いって……?」

「たぶん人間がうっかり古いまじないに触れたんだろうね。まあよくあるよ!」

よくあるの!?

ユウがさらに混乱していると、ネズミは胸を張った。

「安心して! ぼくがなんとかしてあげる!」

「え……」

「ぼくはチロ。困ってる相手を放っておけない、すごく親切なネズミさ!」

自分で言うんだ。

ユウは思ったけれど、口には出せなかった。

チロはくるりと背を向け、路地の奥を見た。

「この先の森に、呪いに詳しい動物がいるかもしれない。会いに行こう!」

「も、森?」

「うん!」

「い、いやでも……」

知らない場所。 しゃべるネズミ。 呪い。 森。

何もかも急すぎる。

ユウがしっぽを縮こまらせると、チロは振り返ってにっと笑った。

「だいじょうぶ!」

その笑顔は、びっくりするくらいまっすぐだった。

「なんとかなるって!」

ユウは不安そうに空を見上げた。

雨雲の切れ間から、ほんの少しだけ夕焼けがのぞいている。

本当に、なんとかなるんだろうか。

わからない。

でも。

このままひとりで震えているよりは――

「……行く」

小さな声でそう言うと、チロの目がぱっと輝いた。

「よしっ!」

こうしてユウは、人間の知らないもうひとつの世界へ足を踏み出した。

その先に、大きな川が待っていることも。

そこで、無口な熊と出会うことも。

まだ知るよしはなかった。


第二章 渡れない川

森は、思っていたよりずっと近くにあった。

町はずれの古い神社の裏手。

人間だったころ、ユウも何度か前を通ったことがある場所だ。

けれど、その奥にこんな道が続いているなんて知らなかった。

鳥居の脇にある細い獣道を抜けると、景色ががらりと変わる。

背の高い木々が空をおおい、しっとりと湿った土の匂いが鼻をくすぐった。

草むらのあちこちから、聞いたことのない鳴き声がする。

「は、はぐれたりしないかな……」

ユウは不安げにたずねた。

先を歩くチロが、振り向きもせずに答える。

「だいじょうぶだって! ぼく、方向感覚だけはいいから!」

その言葉が終わった直後。

チロは木の根っこにつまずいて、ごろんと前につんのめった。

「いてっ」

ユウは思わず足を止めた。

「……ほんとに?」

「い、今のはノーカウント!」

チロはぴょんと起き上がり、何事もなかったように胸を張る。

「足元を確認してただけ!」

確認のしかたがずいぶん派手だ。

思わず、ユウの口元がゆるむ。

旅に出てから、何度目かの小さな笑いだった。

それからしばらく歩くと、森がふいにひらけた。

そして。

「うわ……」

ユウは立ちすくんだ。

目の前に、大きな川が広がっていた。

昨日の雨のせいだろう。

茶色く濁った水が、ごうごうと音を立てて流れている。

対岸にはさらに深い森が見えた。

「あそこを渡るの?」

ユウの声が震える。

「うん!」

チロはあっさりうなずいた。

「この川の向こうに“ささやきの森”があるんだ。そこに行けば、きっと手がかりが見つかる」

「でも橋が……」

川にかかっていたはずの木橋は、途中からぽっきり折れて流されていた。

残っているのは、岸辺に突き出た無残な木片だけ。

ユウはしっぽをぴたりと足のあいだにはさんだ。

無理だ。

どう見ても渡れない。

「や、やっぱり戻ろうよ……」

「ええっ?」

「だって危ないし……流されたら……」

そのとき。

どん、と重い音が響いた。

上流から、大きな丸太が流れてくる。

激しい水しぶきをあげながら、まっすぐこちらへ向かっていた。

「うわっ!」

チロが叫ぶ。

ユウは身をすくませた。

次の瞬間。

ざばんっ!

川の中へ巨大な影が飛びこんだ。

茶色い毛並み。

岩みたいに大きな体。

その影は流れてくる丸太を両腕で受け止めると、川底にぐっと足を踏んばった。

水が激しく跳ねる。

けれど、その体はびくともしない。

やがて丸太はぴたりと止まり、川の両岸をつなぐ一本橋になった。

影がこちらを向く。

それは、大きな熊だった。

深い黒い瞳が、静かにユウたちを見ている。

熊は短く言った。

「……渡れ」

ユウは息をのんだ。

大きい。

とにかく、大きい。

それだけで足がすくんだ。

チロは迷いなく丸太へ飛び乗る。

ぴょん、ぴょん、と軽やかに進み、あっという間に向こう岸へたどり着いた。

「ほら! ユウも!」

無理だ。

丸太は細くて、びしょ濡れで、ぐらぐら揺れている。

下では濁流がうねっている。

落ちたらひとたまりもない。

ユウは後ずさった。

「ぼ、ぼく……」

すると熊が低い声で言った。

「怖いか」

ユウはこくりとうなずく。

熊は少しだけ目を細めた。

責めるでもなく、笑うでもなく。

ただ静かに言う。

「それでいい」

ユウは顔を上げた。

「え?」

「怖いのは、進む先があるからだ」

低く、ゆっくりした声だった。

「渡れ」

向こう岸ではチロが待っている。

心配そうにこちらを見ている。

ユウは丸太を見た。

震える足を見た。

逃げたい。

怖い。

無理だ。

でも。

このまま戻ったら、きっとまた何も変わらない。

ユウは、そっと前足を乗せた。

丸太がぐらりと揺れる。

ひっ、と息が漏れた。

それでももう一歩。

また一歩。

川の音が耳を埋めつくす。

足がすべる。

「きゃっ!」

体が傾いた。

落ちる――

その瞬間。

大きな手が、そっとユウの体を支えた。

熊だった。

何も言わず、ただ落ちないよう支えてくれている。

ユウは必死に体勢を立て直し、最後の数歩を駆けぬけた。

そして。

ぽすん、と向こう岸へ転がりこんだ。

「やった!」

チロが飛びついてくる。

「すごいじゃん!」

ユウは息を切らしながら、川を振り返った。

まだ足が震えている。

怖かった。

ものすごく。

でも。

渡れた。

熊もゆっくりと岸へ上がってくる。

体についた水をぶるっと払うと、ユウを見下ろしてたずねた。

「……怖かったか」

ユウは小さくうなずいた。

熊はまた、静かに言った。

「それでいい」

そして。

「渡った」

たったそれだけ。

けれど、その言葉はユウの胸にまっすぐ届いた。

怖くても、渡れた。

それだけでいいんだ。

チロが熊を見上げる。

「助かったよ! ありがとう!」

熊は短くうなずいた。

「ガロウだ」

「ぼくはチロ! こっちはユウ!」

ユウもぺこりと頭を下げる。

ガロウはじっとユウを見つめた。

その黒い目には、不思議と威圧感がなかった。

しばらくして、ぽつりと言う。

「ささやきの森へ行くなら、俺も行く」

「えっ?」

チロが目を丸くする。

「どうして?」

ガロウは森の奥へ視線を向けた。

「……確かめたいことがある」

それ以上は語らない。

けれど、その声には何か重いものがにじんでいた。

チロはにっと笑った。

「じゃあ決まり! 仲間だね!」

ガロウは少しだけ困ったような顔をしたが、否定はしなかった。

こうして。

ユウたちの旅に、最初の仲間が加わった。

そしてそのとき。

はるか頭上で、ぴゅん、と何かが空をよぎったことに。

まだ誰も気づいていなかった。


第三章 空から落ちてきたツバメ

ささやきの森は、その名のとおり不思議な場所だった。

木々の葉が風に揺れるたび、ひそひそと誰かが話しているような音がする。

最初は気味が悪かったけれど、しばらく歩いているうちにユウはそれがただの葉擦れの音ではないことに気づいた。

「……なんか、聞こえない?」

チロが立ち止まる。

「え?」

「いま、『右』って言わなかった?」

ユウが耳をすますと、たしかにかすかな声がした。

――みぎ……

風に混じる、小さなささやき。

ガロウが低くうなる。

「この森は、道に迷う者を試す」

「試す?」

チロが首をかしげる。

ガロウはうなずいた。

「耳をすませ。正しい声を選べ」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、

――ひだり……

――まっすぐ……

――もどれ……

いくつものささやきが四方から押し寄せてきた。

ユウは思わず耳をふせる。

「ど、どれを信じればいいの?」

チロも困った顔であたりを見回した。

ガロウは目を閉じてじっとしている。

そのときだった。

「うわああああっ! 避けてええええ!」

頭上から、ものすごい叫び声が降ってきた。

ユウが反射的に見上げる。

青黒い影がものすごい勢いでこちらへ突っこんでくる。

「えっ」

どさあっ!

影はユウたちのすぐ目の前に墜落した。

落ち葉がぶわっと舞い上がる。

枝がばきばき折れる。

土煙がおさまると、その真ん中で一羽のツバメが目を回していた。

「……ちゃくち、しっぱい……」

「いや大失敗だよ!?」

チロが叫ぶ。

ツバメはぴくりと動き、それからぴょこんと跳ね起きた。

羽についた葉っぱをぱっぱっと払い落とし、何事もなかったかのように胸を張る。

「わざとだよ!」

「絶対ちがう!」

「えっ、バレた?」

バレバレだ。

ツバメはけろっとしている。

くりっとした目に、つややかな羽。 体は小さいのに、妙に存在感があった。

そしてその目がユウを見た。

ぱちくり。

「……犬?」

次にチロ。

「ネズミ」

そしてガロウ。

「熊」

しばらく考えこみ、やがて顔をぱっと輝かせた。

「わあ! おもしろそうな組み合わせ!」

「第一声がそれ?」

チロがつっこむ。

ツバメはくるっと宙返りして、ユウの目の前にふわりと降りた。

「わたしスイ! 空を駆ける最速のツバメ!」

その直後、足をもつれさせて前につんのめる。

「いたっ」

チロがじとっとした目を向けた。

「最速?」

「……着地はちょっと苦手」

ユウは思わずくすっと笑った。

スイはその笑顔を見て、にかっと笑い返す。

「お、やっと笑った!」

「え?」

「さっきからすっごい不安そうな顔してたから」

ユウははっとした。

そんなふうに見えていたんだ。

少し恥ずかしくなって目をそらす。

するとスイは気にした様子もなく、ぐるぐるとみんなのまわりを飛び始めた。

「ででで、なにしてるの? どこ行くの? 冒険? 宝探し? 呪いとか?」

「なんで呪いってわかったの?」

チロが目を丸くする。

スイはぴたりと止まった。

「だってこの子、人間の匂いするもん」

ユウの胸がどきっとする。

「わ、わかるの?」

「うん。ちょっとだけね」

スイはユウをじっと見つめた。

その目は、からかうでも怖がるでもなく、ただ純粋な興味に満ちている。

「へえー。元人間の子犬かあ。おもしろい!」

ユウは少しだけ肩の力が抜けた。

「それで? どこ行くの?」

「森の奥だよ」

チロが答える。

「呪いの手がかりを探してるんだ」

その瞬間。

スイの表情がぴしっと変わった。

「森の奥って……まさか、“夜見の塔”?」

ガロウが静かにうなずく。

スイは羽をばたつかせた。

「やめたほうがいいよ! あそこ、へんなフクロウがいるんだから!」

「へんなって」

「いっつも意味深なことしか言わないし、質問すると質問で返してくるし、めちゃくちゃめんどくさい!」

チロが首をかしげる。

「知ってるの?」

「前に道を聞いたことある!」

「それで?」

スイはむっとした顔で言った。

「『道とは進む者の足元に生まれる』とか言われた」

沈黙。

チロがぽつり。

「……めんどくさいね」

「でしょ!?」

ガロウだけが、なぜか少しだけ口元をゆるめた。

ユウはそのやりとりに、また小さく笑う。

するとスイが、ぱっと羽を広げた。

「よし決めた!」

「なにを?」

「わたしも行く!」

「ええっ?」

「だっておもしろそうだし! それにあのフクロウのとこ行くなら、空からの案内役が必要でしょ?」

たしかに、森の上空からなら道も見えやすいだろう。

チロはにやっと笑った。

「歓迎!」

「やった!」

スイはくるくる宙返りした。

そして調子に乗りすぎて、木の枝にごつんと頭をぶつけた。

「いたっ!」

「また!?」

にぎやかな声が森に響く。

ユウは仲間たちを見回した。

チロ。

ガロウ。

そしてスイ。

つい数時間前まで、ひとりぼっちだったのに。

気づけば、こんなににぎやかな旅になっている。

そのことが、少しだけうれしかった。

だけど。

その先に待つ“夜見の塔”のことを思うと、胸の奥がざわつく。

呪いの手がかり。

元に戻る方法。

そこに、本当にたどり着けるんだろうか。

ユウはそっと空を見上げた。

木々のすきまから、夕暮れの空がのぞいている。

そのはるか向こうに、細い月が浮かんでいた。


第四章 夜見の塔のフクロウ

夜見の塔は、森のいちばん奥にあった。

月明かりに照らされたその姿は、まるで木々の海から突き出た一本の黒い槍のようだった。

古びた石造り。

壁にはびっしりと蔦がからまり、ところどころ崩れている。

塔の頂上だけがぽっかりと夜空に口を開けていて、その暗い穴はどこか巨大な目のようにも見えた。

「……なんか、こわい」

ユウが思わずつぶやく。

スイが羽をふるわせた。

「だから言ったじゃん。あのフクロウ、ぜったい変だって」

チロは塔を見上げながら鼻をひくひくさせる。

「でもここに手がかりがあるんでしょ?」

ガロウがうなずいた。「古い知恵は、ここに集まる」

「つまり、呪いのことも知ってるかも!」

チロが拳――いや、小さな前足をぎゅっと握った。

「行こう!」

「えっ、今!?」ユウがあわてる。

夜の塔なんて、どう考えても入りたくない。

けれどチロはもう入口へ駆けていた。

「なんとかなるって!」

「その言葉でなんとかならなかったこと、けっこうあるよ!?」

スイが叫びながら追いかける。

ガロウは無言でそのあとに続く。

取り残されたユウは、塔を見上げた。

黒い入口が、じっとこちらを見返しているようだった。

逃げたい。

でも。

ユウは深呼吸して、小さくうなずく。

そしてみんなのあとを追った。

塔の中は、ひんやりと冷たかった。

螺旋階段が、上へ上へと続いている。

壁にかかった古いランプが青白い光を揺らし、そのたびに影が不気味に踊った。

「これ絶対おばけ出るって」

スイがユウの頭にしがみつく。

「さっきまであんなに元気だったのに?」

「暗いのは別!」

「空飛んでるのに?」

「飛べるのとこわいのは別なの!」

チロがくすくす笑う。

そんなやりとりが、少しだけユウの緊張をほぐした。

やがて階段の終わりが見えた。

最上階。

そこは天井のない、円形の広間だった。

頭上には満天の星空。

中央には、古びた木の止まり木。

そして、その上に。

一羽の大きなフクロウがいた。

灰色の羽。

月光を映した金色の目。

じっと動かず、まるで何百年もそこにいたかのように静かだった。

「……来たか」

低く、よく通る声。

ユウは思わず身をすくませた。

フクロウの視線が、まっすぐ自分に向けられている。

「え、えっと……」

何を言えばいいのかわからない。

するとチロが前に出た。

「この子、呪われてるんだ! 元に戻る方法を教えて!」

ずいぶん単刀直入だ。

フクロウはしばらく黙っていた。

それから静かに首をかしげる。

「なぜ戻りたい」

「え?」

ユウが目をぱちぱちさせる。

そんなこと、決まってる。

だって――

「それは……」

言葉が出てこない。

なぜだろう。

戻りたいはずなのに。

その理由を聞かれると、胸の奥がざわついた。

フクロウは目を閉じる。

「答えを知らぬ者に、道は示せぬ」

「ええーっ!」

スイが羽をばたつかせた。

「またそれ!? そういう回りくどいのほんとずるい!」

フクロウは無視した。

そのままユウだけを見つめている。

静かな金色の瞳。

逃げ場のない視線。

ユウは足元を見つめた。

どうして戻りたいんだろう。

人間だから?

元の姿だから?

学校に戻るため?

でも。

学校に戻ったところで、何が変わるんだろう。

また笑われるかもしれない。

また何も言えずにうつむくかもしれない。

それなのに。

どうして。

「……わからない」

気づけば、そう口にしていた。

フクロウがわずかに目を細める。

「そうか」

それだけだった。

責めるでもなく、失望するでもなく。

ただ、当然だというようにうなずいた。

「ならばまだ、答えを探す時だ」

フクロウは翼をひろげた。

月光が羽にきらめく。

「月なき夜、古き祠にて、己が名を呼べ」

チロが首をかしげる。

「どういう意味?」

「そのとき来ればわかる」

「またそれ!」

スイがぷんぷんする。

フクロウは気にも留めず、続けた。

「だがその前に、北の丘へ行け」

「北の丘?」

「そこに、失われた欠片が眠る」

ユウは顔を上げた。

「欠片?」

フクロウは答えない。

代わりに、金色の目がほんの少しだけやわらいだ。

「子犬よ」

「……はい」

「己が何を選ぶのか。それは旅の果てにしか見えぬ」

その言葉が、不思議なくらい胸に残った。

選ぶ。

戻るか。

戻らないか。

まだそんなこと、考えたこともなかった。

フクロウは再び目を閉じる。

「行け」

それが、話の終わりだった。

塔を出たあと。

森には静かな夜風が吹いていた。

みんな無言で歩く。

やがてチロがぽつりと言った。

「……なんか難しかったね」

「うん」

ユウは小さく答える。

難しかった。

でも。

胸のどこかに、小さな火が灯った気がした。

答えはまだわからない。

それでも。

探してみたいと思った。

そのときだった。

ぐうううう。

お腹の音が、静かな森に響いた。

みんなが足を止める。

音の主は――スイだった。

「……えへ」

「雰囲気ぶちこわしだよ!」

チロが叫ぶ。

スイは胸を張る。

「考えごとはお腹いっぱいじゃないとできません!」

ガロウがぽつり。

「その通りだ」

「ガロウまで!?」

ユウは思わず吹き出した。

夜の森に、小さな笑い声が広がる。

その先にどんな旅が待っているのか。

まだ誰も知らない。

けれど確かに、一歩ずつ。

ユウたちは前へ進んでいた。


第五章 きどった狐と落とし穴

翌朝。

森にはやわらかな朝日が差しこんでいた。

昨夜は塔のふもとで休んだユウたちは、北の丘を目指して歩き始めていた。

「失われた欠片、かあ」

チロがてくてく歩きながらつぶやく。

「なんなんだろうね、それ」

「きっと呪いを解く鍵だよ!」

スイが空をくるりと旋回する。

「こういうのってだいたいそういうやつ!」

「根拠は?」

「勘!」

「雑!」

チロがつっこむ。

そのやりとりに、ユウはくすりと笑った。

旅に出たばかりのころは、こんなふうに笑えるなんて思っていなかった。

けれどその時。

先頭を歩いていたガロウがぴたりと足を止めた。

「……静かに」

低い声。

みんなが息をのむ。

森がしんと静まり返った。

次の瞬間。

がさっ!

茂みが揺れた。

ユウはびくっと身を縮める。

敵だろうか。

それとも――

「ふっ」

どこからか、気取った声がした。

「どうやら私の華麗なる罠にかかったようだね」

「えっ?」

ユウたちがあたりを見回す。

姿は見えない。

声だけが森に響く。

「警戒しても無駄さ。君たちはすでに包囲されている」

チロがひそひそ声で言う。

「……誰?」

スイが羽をばたつかせる。

「見えない!」

「見えないのが一流ってことさ」

その直後。

ずぼっ。

妙な音がした。

「……あれ?」

さっきまで聞こえていた声が、急に低くなった。

ユウがそっと前を見る。

少し先の地面に、大きな穴が開いていた。

そしてその底から、赤茶色のしっぽがぴょこんと飛び出している。

しばし沈黙。

やがて穴の中から、くぐもった声。

「……今のは演出だ」

「落ちたよね?」

チロが言う。

「高度な演出だとも」

「絶対ちがう」

スイが呆れたように言った。

穴の中から、もぞもぞと一匹の狐が這い上がってきた。

しなやかな赤茶色の毛並み。

細い目。

口元には自信たっぷりの笑み。

けれど頭には葉っぱが刺さっていた。

狐はそれを何事もなかったように払うと、すっと胸を張った。

「失礼。少々予定外の着地をしただけさ」

「自分で掘った穴に落ちてたけど」

「計算のうち」

「ぜったいうそ」

狐は小さく咳払いした。

「私はギン。旅する天才策士にして、この森いちの知恵者だ」

「さっき落ちてたよ?」

「だから演出だってば!」

ユウは思わず笑ってしまった。

ギンはその声に気づき、すっと目を細める。

「ほう」

ゆっくりとユウに近づいてきた。

「子犬……いや、その匂い」

鼻をひくりと動かす。

「人間か」

ユウの体がこわばる。

けれどギンはにやりと笑った。

「なるほど。面白い」

「面白いって……」

「つまり君たちは、呪いを解く旅の途中ってわけだ」

チロが目を丸くする。

「なんでわかったの!?」

ギンは得意げに尻尾をゆらした。

「観察力さ」

そう言った瞬間、後ろ足が穴のふちを踏み外し、またずぼっと半分落ちた。

「うわっ」

「だいじょうぶ!?」

ユウがあわてて駆け寄る。

ギンはなんとか体勢を立て直した。

「……これはわざとだ」

「もう無理あるって!」

スイが笑い転げる。

ギンは不満そうに耳をぴくぴくさせたが、すぐにまた笑みを浮かべた。

「まあいい。実は君たちに興味がある」

「え?」

「北の丘へ向かってるんだろう?」

ガロウが静かにうなずく。

ギンの目がきらりと光った。

「あそこには“風裂きの崖”がある。普通に行けば危険だ」
「知ってるの?」

チロが身を乗り出す。

「もちろん」

ギンは胸を張る。

「この森に私の知らない道はない」

その言葉には、さっきまでと違う妙な説得力があった。

ガロウがじっとギンを見る。

「……案内できるか」

ギンはにやっと笑った。

「対価しだいでね」

「えっ」

「といっても簡単さ」

狐はユウを見た。

「旅が終わったら、その話を聞かせてほしい」

「ぼくの?」

「そう。人間の町の話」

ユウはきょとんとする。

そんなことを聞きたがる動物がいるなんて思わなかった。

「……そんなのでいいの?」

「いいとも」

ギンは少しだけ遠くを見るような目をした。

「私はね、森の外を知らない」

その声には、ほんの少しだけさみしさが混じっていた。

けれど次の瞬間には、いつもの調子に戻る。

「というわけで契約成立!」

「まだ返事してないけど!?」

チロがつっこむ。

ギンは聞こえないふりをして、さっそうと歩き出した。

そして三歩目で木の根につまずき、盛大に転んだ。

「いたっ!」

「また!?」

スイが大笑いする。

ユウも思わず吹き出した。

ギンはむっとしながら立ち上がり、咳払いをひとつ。

「……いまのも演出だ」

「もうその言い訳やめたら?」

こうして。

ユウたちの旅に、新たな仲間が加わった。

おっちょこちょいで、少し気取っていて。

でもたしかに頼れそうな狐、ギン。

そして彼らの行く手には。

北の丘へ続く、危険な崖道が待っていた。


第六章 風裂きの崖

北の丘へ続く道は、昼すぎには険しい山道へと変わっていた。

木々はまばらになり、吹きつける風がどんどん強くなる。

足元の土もごつごつした岩肌に変わり、歩くたびに小石がころころと転がった。

「ひゃあ〜……」

スイが風にあおられてふらふらしている。

「これ、飛ぶのむずかしい!」

「ツバメなのに?」

チロが言う。

「風にも種類があるの!」

スイは必死に羽ばたきながら叫んだ。

その先頭を歩くギンは、しっぽをゆらしながら軽やかに岩場を進んでいく。

「この程度の風で騒ぐとはね」

余裕たっぷりの口調だ。

だが次の瞬間、強い突風が吹き抜けた。

「おわっ」

ギンの体がふわっと浮き、そのままくるんと一回転して岩にぺたりと張りついた。

しばし沈黙。

「……風向きを確認していた」

「ぜったい飛ばされたよね」

チロが冷静につっこむ。

ユウはくすくす笑った。

ギンは何事もなかったように立ち上がり、毛並みを整える。

「細かいことを気にしてはいけないよ」

「かなり大きいことだったと思うけど」

スイが言う。

そんなやりとりをしながら進んでいくと、やがて道はぷつりと途切れた。

その先には、大きな裂け目。

深い谷が口を開けている。

向こう岸までは数メートルほど。

けれど下をのぞけば、遥か底で風がうなりをあげていた。

ユウは思わず後ずさる。

「……むり」

チロも顔をしかめた。

「橋がない」
たしかに、古びた吊り橋の残骸らしきものが崖の端にぶらさがっている。

だがロープはちぎれ、板もほとんど落ちてしまっていた。

「これじゃ渡れないよ」

スイが言う。

ガロウは谷を見つめたまま低くつぶやいた。

「飛び越えるには遠い」

しん、と空気が重くなる。

そのとき。

ギンがふっと笑った。

「だから君たちは素人なんだ」

みんなが振り向く。

ギンは得意げに前足をあげた。

「こういう時のために、私はちゃんと準備している」

そう言って、近くの岩陰へ駆け寄る。

がさごそと何かを引っぱり出した。

それは、ぐるぐる巻きになった長いツタだった。

「えっ」

チロが目を丸くする。

「いつの間に」

「この道を通るとわかった時点で拾っておいたのさ」

ギンはにやりと笑う。

「策士だからね」

スイが羽をぱたぱたさせた。

「すごい!」

ユウも思わず見入る。

ギンは手際よくツタを結び、片方をこちらの大木にしっかり固定した。

そしてもう片方をくわえる。

「スイ」

「え?」

「向こう岸まで運べるね?」

スイはぴしっと背筋を伸ばした。

「まっかせて!」

ギンがツタを放る。

スイはそれをくわえ、強風の中へ飛び立った。

何度も風にあおられながら、それでも必死に羽ばたく。

そして見事、向こう岸の岩へツタを結びつけた。

一本の綱が、谷を渡る道になる。

「よし」

ギンがうなずいた。

「これで渡れる」

チロが歓声をあげる。

「やった!」

ユウは綱を見つめた。

細い。

揺れている。

下は奈落。

怖い。

また、足がすくむ。

するとギンがそっと隣に来た。

「怖い?」

ユウはうなずく。

ギンは珍しく、からかうような顔をしなかった。

「それでいい」

その言葉に、ユウははっとする。

前にも聞いた。

川で、ガロウが言った言葉だ。

ギンはしっぽを揺らした。

「怖いってことは、ちゃんとわかってるってことさ」

「……わかってる?」

「危険も、自分の弱さも」

ギンは細い目をやわらげる。

「それを知って、それでも進むのが賢いやり方だ」

ユウは綱を見た。

それから仲間たちを見る。

チロは期待に満ちた目。

スイは向こう岸で手を振っている。

ガロウは静かに見守っている。

ひとりじゃない。

ユウは小さく息を吸った。

「……やってみる」

最初の一歩。

綱が揺れる。

風が吹く。

でも、今度は止まらなかった。

少しずつ。

慎重に。

前へ。

途中で足がすべる。

心臓が跳ねる。

けれど。

「そのまま!」

ギンの声。

「下を見るな!」

ユウは顔を上げた。

向こう岸で、スイが羽を振っている。

「もうちょっと!」

チロも叫ぶ。

「がんばれ!」

そして。

最後の一歩。

ユウは向こう岸へ飛び込んだ。

ぽすん、と転がる。

次の瞬間。

「やったー!」

スイが抱きついてきた。

チロも続く。

ユウは息を切らしながら、笑った。

また、できた。

怖かったけど。

進めた。

少し遅れて、みんなも渡ってくる。

最後にギンが軽やかに渡りきると、得意げに胸を張った。

「どうだい」

チロがにやっとする。

「今日は落ちなかったね」

ギンの耳がぴくっと動いた。

「当然さ」

その直後。

着地した場所の石がぐらりと傾き、

ずるっ。

「うわっ」

ギンは見事にしりもちをついた。

一瞬の静寂。

そして。

みんながどっと笑いだした。

「最後の最後で!?」

スイが転げまわる。

ギンは顔を真っ赤にしながら立ち上がった。

「……これは、サービスだ」

笑い声が風に乗って丘へ響く。

その向こう。

北の丘のてっぺんには、古びた石碑がひっそりと立っていた。

その足元で、何かが淡く光っている。

失われた欠片。

ついに、彼らは最初の手がかりへたどり着いた。


第七章 欠けた月のかけら

北の丘の頂上は、風の音しか聞こえない静かな場所だった。

草は短く、どこまでもなだらかな斜面が月明かりに銀色に染まっている。

丘の中央には、古びた石碑がぽつんと立っていた。

そしてその足元。

草のあいだから、淡い光がもれている。

「……あれだ」

ガロウが低くつぶやく。

ユウたちはそっと近づいた。

そこにあったのは、透きとおるような白い石だった。

手のひらに収まるくらいの大きさ。

けれどその表面には、まるで夜空を閉じこめたみたいに小さな光が瞬いている。

「きれい……」

ユウは思わず見とれた。

チロが目を輝かせる。

「これが“失われた欠片”!」

スイがそのまわりをくるくる飛ぶ。

「宝石みたい!」

ギンは石碑に刻まれた文字をじっと見つめていた。

「……古い文字だ」

「読めるの?」

チロがたずねる。

ギンは鼻を鳴らした。

「当然さ」

そう言いながら、目を細める。

「ええと……」

沈黙。

「……たぶん」

「読めないんだね」

「ち、違う! 少し時間が必要なだけ!」

ギンが慌てて言い張る。

スイがけらけら笑った。

そのときだった。

ふいに。

白い石が、ぱあっと強く輝いた。

「わっ!」

ユウが目を閉じる。

まぶしい光。

そして。

頭の中に、誰かの声が響いた。

――おまえは、何を願う

低く、やさしい声だった。

ユウははっとして目を開ける。

けれど仲間たちは何も聞こえていないようだった。

「どうしたの?」

チロが心配そうに見上げる。

「い、いま……声が」

「声?」

ユウは石を見つめた。

まだかすかに光っている。

すると石碑の文字が、ひとりでに青白く浮かび上がった。

今度は誰の目にも見えているらしい。

スイがびくっと羽を逆立てた。

「うわっ、出た!」

ギンが目を見開く。

「これは……」

光る文字が、空中にゆっくりと並ぶ。

欠けた月を集めし者に、道は開かれる

されど問う

汝、帰るべき場所を知るや

しん、と静まり返る。

チロがぽつり。

「……また難しいこと言ってる」

「フクロウの親戚かなにか?」

スイがひそひそ言う。

ユウはその言葉をじっと見つめていた。

帰るべき場所。

それは、どこなんだろう。

学校?

家?

人間の姿?

もちろん、そうのはずだ。

なのに。

胸の奥に、小さな違和感がある。

この旅に出てから。

怖いこともたくさんあった。

でも。

チロがいて。

ガロウがいて。

スイが笑って。

ギンが転んで。

そんな時間が、少しずつ大切になっていた。

「ユウ?」

チロの声に、はっとする。

「だいじょうぶ?」

「う、うん」

そのとき。

白い石がふわりと宙に浮いた。

「えっ!?」

くるくると回転しながら、まっすぐユウの前へ。

そして。

すうっと、ユウの胸の中へ吸いこまれた。

「ええええっ!?」

スイが悲鳴をあげる。

チロが飛びつく。

「ユウ!?」

「ぼ、ぼくもわかんない!」

ユウはあわてて胸を見た。

何もない。

けれどそこが、じんわり温かい。

ガロウが静かに言う。

「……選ばれたか」

「選ばれた?」

チロが聞き返す。

ギンが珍しく真面目な顔で石碑を見る。

「“欠けた月”は、持つべき者を選ぶって伝承がある」

「じゃあ、ユウが?」

「そういうことだろうね」

ユウは戸惑った。

どうして自分なんだろう。

ただの、弱虫なのに。

するとギンがふっと笑う。

「案外、石って見る目あるのかも」

「どういう意味?」

チロがたずねる。

ギンは肩をすくめた。

「少なくとも、そこらの気取り屋狐よりはね」

「自分で言ってるよ」

スイがつっこむ。

その時。

ごごごご……。

低い地鳴りが響いた。

みんなが身構える。

石碑の裏側の地面がゆっくりと割れ、暗い穴が姿を現した。

その奥へ、石の階段が続いている。

「……隠し通路」

ギンが目を細める。

チロが目を輝かせた。

「これだ!」

スイは羽をばたつかせる。

「ぜったい怪しい!」

「でも進むしかない」

ガロウが言う。

みんなの視線が、ユウに集まった。

自然と。

この旅の中心が、ユウになりつつあった。

ユウは暗い階段を見つめる。

怖い。

何があるかわからない。

でも。

胸の奥の温かさが、そっと背中を押していた。

ユウは、小さくうなずく。

「……行こう」

その声は、前より少しだけしっかりしていた。

チロがにっと笑う。

「うん!」

こうしてユウたちは、丘の地下へと続く秘密の道へ足を踏み入れた。

そこに待つものが。

呪いの秘密か。

それとも、もっと別の何かなのか。

まだ誰も知らなかった。


第八章 地下の鏡の間

石の階段は、どこまでも深く続いていた。

ひんやりとした空気。

足音だけが、からん、からん、と響く。

壁にはところどころ青白い苔が生えていて、その淡い光がかろうじて道を照らしていた。

「……なんか、ぞわぞわする」

スイがユウの背中にぴたりと張りつく。

「おばけ出そう」

「さっきからそればっかりだね」

チロが苦笑する。

「だって暗いんだもん!」

「空飛べるのに?」

「それ関係ある!?」

そんなやりとりが、静かな地下に妙に響いた。

やがて階段が終わる。

その先に広がっていたのは、大きな円形の部屋だった。

壁も床も、つるりとなめらかな黒い石でできている。

そして部屋いっぱいに、無数の鏡が立っていた。

天井まで届く大きなもの。

手鏡ほどの小さなもの。

丸いもの、四角いもの、ゆがんだもの。

どれも鈍く青白い光を反射している。

「うわ……」

ユウは思わず立ち止まった。

「鏡だらけ」

スイが羽をぱたぱたさせる。

「ぜったい怪しい!」

「それは同感」

ギンが目を細めた。

ガロウは静かに部屋を見回している。

チロがぴょんと鏡のひとつに飛び乗ろうとした、そのとき。

「待って」

ユウが思わず声をあげた。

みんなが振り向く。

ユウは鏡の足元を指さした。

床に、うっすらと線が走っている。

よく見ると、それは部屋中の鏡につながっていた。

「これ……踏んだら何か起きるかも」

チロがぎょっとして足を引っこめる。

「ほんとだ!」

ギンが感心したように目を細めた。

「よく気づいたね」

ユウは少し照れくさくなった。

でも。

ちゃんと見ていれば、わかることがある。

それは旅の中で、少しずつ気づき始めていた。

ガロウがぽつりと言う。

「進む道を探せ」

その一言で、みんなは慎重に鏡のあいだを進み始めた。

床の線を避けながら。

鏡をよけながら。

ゆっくり。

けれど。

部屋の中央近くまで来たときだった。

「っと」

ギンがしっぽをひっかけた。

かつん。

鏡の台座に軽くぶつかる。

「あ」

次の瞬間。

部屋じゅうの鏡が、いっせいに輝いた。

「うわああ!?」

スイが叫ぶ。

鏡の中に、次々と映像が浮かぶ。

ユウは息をのんだ。

そこに映っていたのは――

学校だった。

教室。

窓際の席。

うつむいて座っている、人間のユウ。

そして周りで笑うクラスメイトたち。

「……っ」

胸がぎゅっと痛む。

別の鏡には、泥だらけになったランドセル。

また別の鏡には、転ばされる自分。

聞きたくない笑い声が響く。

「やめ……」

ユウは耳をふさぐ。

すると今度は別の鏡に、違う光景が映った。

犬の姿のユウが、チロたちと笑っている。

川を渡る姿。

風裂きの崖を越える姿。

仲間たちの笑顔。

二つの景色。

人間だったころ。

旅に出てから。

それが部屋いっぱいに映し出される。

「これは……」

チロが息をのむ。

ギンが低くつぶやく。

「心を映す鏡か」

そのとき。

部屋の中央の巨大な鏡が、ひときわ強く輝いた。

そこに映ったのは。

人間の姿に戻ったユウだった。

教室にいる。

ひとりで。

窓の外を見ている。

誰も話しかけない。

静かで。

変わらない日常。

そして鏡の中のユウが、こちらを見た。

すっと口を開く。

「戻りたいんだろ」

ユウは凍りついた。

鏡のユウが続ける。

「動物のままでいたって、何も変わらない」

冷たい声だった。

「おまえは元に戻るべきだ」

足がすくむ。

何も言い返せない。

だってそれは。

ずっと自分が思っていたことだから。

そのとき。

「違うよ!」

高い声が響いた。

スイだった。

鏡の前に飛び出し、羽をばたつかせる。

「ユウ、そんな顔してなかった!」

鏡のユウが眉をひそめる。

チロも前へ出る。

「そうだよ!」

「旅に出てから、ちゃんと笑ってた!」

ガロウが静かに言う。

「進んできた」

そしてギンが、いつもの皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「それに、そんな暗い顔は君らしくない」

仲間たちの声。

ユウははっとする。

鏡の中の自分を見る。

たしかにそれは、自分だった。

でも。

今の自分じゃない。

ユウは震える足で、一歩前へ出た。

そして。

「……違う」

小さく、でもはっきり言った。

鏡のユウが目を細める。

ユウはもう一歩踏み出す。

「ぼくは、ただ戻りたいわけじゃない」

胸の奥が熱い。

言葉が、自然にあふれてくる。

「ぼくは……知りたいんだ」

どうしたいのか。

どこへ行きたいのか。

何を選びたいのか。

その瞬間。

ぱりんっ!

巨大な鏡が砕け散った。

まばゆい光。

思わず目を閉じる。

そして光が消えたとき。

鏡のあった場所には、小さな銀色の鍵が落ちていた。

「……また出た」

チロがぽつり。

スイがぱたぱた飛びまわる。

「クリアってこと!?」

ギンが鍵を拾い上げる。

「そのようだね」

ユウはまだ胸がどきどきしていた。

でも。

さっき確かに、自分の言葉で言えた。

ただ戻りたいわけじゃない。

それが、少しだけうれしかった。

ガロウが静かにうなずく。

「進んだな」

ユウは小さく笑った。

「……うん」

部屋の奥では、新たな扉がゆっくりと開いていた。

銀色の鍵が導く、その先へ。

旅はさらに深く、呪いの秘密へ近づいていく。


第九章 呪いを結ぶもの

銀色の鍵を差しこむと、重い扉は音もなくひらいた。

その向こうには、長い回廊が続いていた。

壁には月や星の模様がびっしりと刻まれている。

青白い光が床を淡く照らし、その奥にある大きな扉だけが、ぽつんと闇に沈んでいた。

「……いよいよって感じだね」

チロがごくりとつばを飲みこむ。

スイはユウの頭の上にちょこんと止まり、そわそわ羽をゆらした。

「なんか出そう」

「さっきからそれしか言ってないね」

ギンが肩をすくめる。

けれどその声にも、いつもの軽さは少しなかった。

ガロウが先頭に立つ。

「行くぞ」

みんなはうなずき、慎重に回廊を進んだ。

やがて、最後の扉の前にたどり着く。

中央には、月の形をしたくぼみ。

ユウの胸が、ふいに熱を帯びた。

「あ……」

胸の奥に溶けこんでいた“欠けた月のかけら”が、光となって浮かび上がる。

それはゆっくりと扉へ近づき、くぼみにはまった。

かちり。

静かな音。

次の瞬間。

扉がひとりでに開いた。

その部屋は、まるで夜空そのものだった。

床も壁も天井も見えない。

ただ深い闇の中に、無数の星が浮かんでいる。

そして中央には。

水鏡のように静かな、丸い泉。

その水面に、月が映っていた。

けれど。

その月は、大きく欠けている。

「……きれい」

ユウは息をのんだ。

そのとき。

泉の向こう側に、ふっと人影が現れた。

黒い衣をまとった、細長い影。

顔は見えない。

けれどどこか、懐かしいような気配があった。

スイが羽を逆立てる。

「だ、だれ!?」

影は静かに口を開いた。

「月守りの残影」

低く、澄んだ声だった。

「この地に残された、最後の記憶」

チロが首をかしげる。

「月守り?」

影はうなずく。

「かつて、人と獣の世界を結ぶ者たちがいた」

その声とともに、泉の水面に映像が浮かぶ。

昔の景色。

月明かりの下、人間と動物たちが語り合っている。

笑い合い、助け合い、ともに暮らしている。

ユウは目を見開いた。

「人間と……動物が?」

「かつては、境界はなかった」

影が言う。

「だがある時、人はその声を忘れた」

水面が揺れる。

景色が変わる。

人間たちは空を見上げることをやめ、動物たちの言葉に耳を貸さなくなっていく。

やがて世界は分かたれた。

「その裂け目をつなぎとめるため、月守りは“月の欠片”を作った」

影がユウを見る。

「そしておまえは、その欠片に選ばれた」

ユウは言葉を失った。

どうして自分が。

ただの、弱虫だったのに。

すると影は静かに言う。

「おまえが願ったからだ」

「え……?」

「人間であることから逃げたいと」

胸がどきりとした。

あの日。

木札を拾う前。

確かにユウは思っていた。

――もういやだ。

こんな自分じゃない何かになれたら。

その願いが。

呪いになった。

ユウは震えた。

「ぼくの……せい?」

「呪いとは、他者がかけるものばかりではない」

影の声はやさしかった。

「心のひずみもまた、形を持つ」

チロがユウを見上げる。

スイも、ギンも、ガロウも。

誰も責める顔をしていなかった。

それがかえって、胸にしみた。

影は続ける。

「だが、道はある」

泉の月が輝きを増す。

「欠けた月が満ちるとき、おまえは選べる」

人へ戻るか。

このまま獣として生きるか。

「その選択の時は近い」

しん、と静寂が落ちる。

ユウは泉を見つめた。

戻れる。

ちゃんと。

でも。

その言葉を聞いても、不思議とすぐにはうれしいと思えなかった。

むしろ胸の奥に広がったのは、迷いだった。

すると影がそっと言う。

「答えを急ぐな」

「……」

「旅の終わりに、おまえ自身が決めればよい」

そのとき。

ごうっ!

突然、部屋じゅうに激しい風が吹き荒れた。

星々が大きく揺れる。

スイが悲鳴をあげた。

「な、なに!?」

泉の水面が荒れ、月がひずむ。

影が険しい声をあげる。

「まずい……!」

闇の奥から、黒い霧があふれ出してくる。

どろりとした、不気味な影。

それはまるで生き物のようにうごめいていた。

「これは……」

ギンが目を見開く。

影が叫ぶ。

「おまえの迷いが形を持ったものだ!」

ユウの心が冷える。

黒い霧は牙をむくようにうねり、こちらへ迫ってきた。

ガロウが前へ出る。

「下がれ」

チロが身構える。

スイが羽ばたく。

ギンは鋭く目を細めた。

けれど黒い霧はどんどん広がる。

逃げ場がない。

そのとき。

ユウの胸が熱く光った。

欠けた月のかけら。

それが、まるで何かを求めるように輝いている。

影が叫ぶ。

「ユウ!」

金色の瞳が、まっすぐこちらを見る。

「選べ!」

何を。

どうやって。

わからない。

でも。

仲間たちがいる。

守りたい。

その思いだけは、はっきりしていた。

ユウは一歩前へ出る。

そして、叫んだ。

「ぼくは――!」

その瞬間。

胸の光が、夜空を裂くように広がった。


第十章 ぼくが選ぶ道

白い光が、夜空の部屋いっぱいに広がった。

まぶしさに、みんなが目を閉じる。

黒い霧が、ぎゃあああっ、と耳をつんざくような声をあげた。

それは獣のうなりにも、人の泣き声にも聞こえた。

やがて光が少しずつおさまる。

ユウは気づいた。

自分の体が、光に包まれている。

胸の奥からあふれ出した光が、やさしく全身を満たしていた。

そして。

目の前に、もうひとりの自分が立っていた。

人間の姿のユウ。

教室でいつもうつむいていた、あの頃の自分。

黒い霧がその姿をかたどっていた。

その瞳は暗く、冷たい。

「……戻れよ」

鏡の間で聞いたのと同じ声だった。

「動物なんかになったって、何も変わらない」

黒いユウが一歩近づく。

「おまえはどうせ、人間に戻ったってまた何も言えない」

その言葉が胸に刺さる。

反論できない。

たぶん、それは本当だ。

明日急に強くなれるわけじゃない。

学校へ戻ったら、また怖くなるかもしれない。

足がすくむかもしれない。

黒いユウが笑う。

「だったらこのまま逃げればいい」

「……」

「人間であることから」

その言葉に、ユウの心が揺れた。

たしかに。

この旅は楽しい。

チロたちといれば笑える。

誰もユウを笑わない。

傷つけない。

ここにいれば、もう怖い思いをしなくていいかもしれない。

そのとき。

「ちがう!」

声が響いた。

チロだった。

小さな体をいっぱいに伸ばし、黒いユウをにらみつけている。

「ユウは逃げてなんかない!」

スイも羽をばたつかせる。

「そうだよ!」

「怖くても進んできた!」

ガロウが低く言う。

「川を渡った」

ギンが続ける。

「崖も越えた」

チロがうなずく。

「ちゃんと、自分で」

仲間たちの声。

そのひとつひとつが、ユウの胸に灯っていく。

黒いユウが眉をひそめた。

「でもこいつは弱い」

「弱いよ」

不意に、ユウ自身の声が響いた。

みんなが振り向く。

ユウはまっすぐ、黒い自分を見つめていた。

足は震えている。

でも、逃げなかった。

「ぼくは弱い」

それは事実だ。

怖がりで。

すぐに立ち止まってしまう。

ひとりじゃ何もできなかった。

でも。

「それでも」

ユウは一歩前へ出る。

「ここまで来た」

川を渡った。

崖を越えた。

鏡の中の自分と向き合った。

仲間たちと笑った。

全部、本当にあったことだ。

「ぼくは、逃げたいからここにいるんじゃない」

黒いユウの瞳が揺れる。

ユウは胸に手を当てた。

そこには、欠けた月のぬくもりがある。

「ぼくは知りたいんだ」

何を選びたいのか。

どこへ行きたいのか。

どう生きたいのか。

「だから」

声が震える。

でも、それでも。

「ぼくが選ぶ」

その瞬間。

胸の光がいっそう強く輝いた。

黒いユウが目を見開く。

「……っ!」

光が、やさしくその体を包みこむ。

霧は抵抗するように揺れた。

けれど次第にほどけていく。

ユウはそっと手を伸ばした。

黒いユウも、ためらいながら手を伸ばす。

ふたつの手が触れた。

ぱあっ、と白い光が弾ける。

そして。

黒い霧は静かに消えていった。

まるで最初からそこになかったみたいに。

静寂。

夜空の部屋に、やわらかな月光だけが満ちている。

泉を映していた欠けた月が、ゆっくりと満ちていく。

欠けていた部分が、白く輝きながら埋まっていく。

満月。

その瞬間。

月守りの残影が静かにうなずいた。

「時は満ちた」

泉の水面が波紋を広げる。

その中央に、ひとつの光の輪が現れた。

「その先に、選びの場がある」

人へ戻るか。

獣として生きるか。

すべてを決める場所。

チロがごくりと息をのむ。

スイがそっと羽をたたむ。

ギンもガロウも、静かにユウを見ていた。

影が言う。

「行け」

ユウは光の輪を見つめた。

怖い。

でも。

もう、立ち止まりたくなかった。

ユウは仲間たちを見た。

チロがにっと笑う。

「だいじょうぶ!」

スイが羽をぶんぶん振る。

「なんとかなるって!」

「それぼくの台詞!」

チロが抗議する。

ギンが肩をすくめた。

「まあ、なんとかならなかったら考えればいいさ」

ガロウは短くうなずく。

「進め」

ユウは笑った。

みんながいる。

それだけで、前に進める気がした。

「……うん」

そして。

ユウは光の輪へ足を踏み入れた。

仲間たちとともに。

その先に待つ、本当の選択の場所へ。


第十一章 月の門

光の輪をくぐった瞬間。

足元の感覚がふっと消えた。

ユウは思わず目を閉じる。

風も音もない。

体が、やわらかな光の中を漂っているようだった。

やがて静かに足が地につく。

そっと目を開けると――

そこは、見たことのない場所だった。

どこまでも広がる白い草原。

夜なのに暗くない。

空いっぱいに、巨大な月が浮かんでいる。

その光に照らされ、草は銀色に揺れていた。

そして草原の中央には、一枚の大きな門が立っていた。

扉のない、石の門。

その表面には月や星の模様が刻まれ、中心には丸い鏡のような水面が揺れている。

「……ここが」

チロが息をのむ。

「選びの場」

月守りの残影の声が、どこからともなく響いた。

「月の門」

ユウは門を見つめた。

その水面には、何かが映っている。

近づいてみると。

そこには、人間の姿の自分がいた。

まっすぐ立っている。

少しだけ不安そうで。

でも、前を見ている。

「この門をくぐれば、おまえは人へ戻る」

残影の声。

「そして獣の言葉も、この旅の記憶も失う」

ユウは息をのんだ。

「え……」

チロが目を見開く。

スイが羽をばさっと広げた。

「忘れちゃうの!?」

「世界の均衡を保つためだ」

静かな声だった。

「境界を越えた者は、その記憶を持ち帰れぬ」

しん、と空気が凍る。

ユウは門を見つめた。

戻れる。

ちゃんと、人間に。

でもそのかわり。

チロたちのことを忘れる。

この旅を忘れる。

川を渡ったことも。

崖を越えたことも。

笑い合った時間も。

全部。

胸がきゅっと痛んだ。

「もうひとつの道は」

残影が続ける。

門の横に、小さな獣道が現れる。

月明かりの向こうへ続く、細い道。

「獣として生きること」

「……」

「記憶は残る。仲間と旅を続けられる」

ユウは立ち尽くした。

これが。

本当の選択。

最初なら、迷わなかったかもしれない。

人間に戻りたい。

そう思っていた。

でも今は。

どちらも大切だった。

人間としての自分。

そして、この旅で見つけたもの。

どうすればいい。

すると。

「ユウ」

チロがそっと前に出た。

「どっちを選んでも、ぼくは応援する」

スイもうなずく。

「うん!」

ギンがしっぽを揺らす。

「ここまで来たんだ。最後くらい、自分の好きに選べばいい」

ガロウは静かに言った。

「答えは、おまえの中にある」

みんなの声。

それは背中を押すでも、引き止めるでもなかった。

ただ、委ねてくれていた。

ユウは目を閉じた。

思い浮かぶ。

学校の教室。

うつむいていた自分。

そして。

旅の中で笑った自分。

怖くても、一歩ずつ進んできた自分。

もし戻ったら。

また怖い思いをするかもしれない。

変われないかもしれない。

でも。

もう、あの頃の自分ではない気がした。

チロたちと過ごした時間は、たとえ忘れても。

きっと何かが残る。

胸の奥に。

進む力として。

ユウはゆっくり目を開けた。

そして。

門ではなく。

仲間たちのほうを振り向いた。

みんなが静かに見つめている。

ユウは、小さく笑った。

少し寂しくて。

でも、ちゃんと前を向いた笑顔だった。

「ぼく」

声が震える。

それでも、はっきりと言った。

「このままでいたいって思った」

チロの耳がぴくりと動く。

スイが目を丸くする。

「でも」

ユウは続けた。

「戻るよ」

静寂。

「逃げるためにここに残りたくない」

その言葉は、驚くほど自然に出た。

「ちゃんと人間として戻って、向き合ってみたい」

怖い。

きっとすごく怖い。

それでも。

旅の中で知った。

怖くても進めることを。

仲間がくれた勇気を。

「だから」

ユウは門へ向き直る。

「戻る」

チロが、ふっと笑った。

「そっか」

スイは羽で目元をごしごしこする。

「なんか泣きそう」

「まだ早いよ」

ギンが苦笑する。

けれどその目はやさしかった。

ガロウが深くうなずく。

「よく選んだ」

ユウはみんなを見た。

胸がいっぱいになる。

ありがとうって言いたいのに、うまく言葉にならない。

だから代わりに、大きくうなずいた。

そして。

月の門へ、一歩踏み出す。

そのとき。

チロが叫んだ。

「ユウ!」

振り返る。

チロはにっと笑っていた。

「また会おう!」

スイも羽を振る。

「ぜったいね!」

ギンが肩をすくめる。

「人間の町の話、まだ聞いてないし」

ガロウは短く言った。

「進め」

ユウは笑った。

涙がにじむ。

それでも。

しっかりとうなずく。

「うん」

そして、門をくぐった。

白い光がすべてを包みこむ。

仲間たちの姿が遠ざかる。

最後に見えたのは。

みんなの笑顔だった。


最終章 はじまりの朝

まぶしい光。

それがゆっくりと薄れていく。

ユウは、やわらかな何かの上に倒れていた。

草の匂い。

朝の空気。

遠くで鳥の声がする。

「……ん」

重たいまぶたを開ける。

見えたのは、青い空だった。

白い雲がゆっくり流れている。

ユウはぼんやりと瞬きをした。

そして。

はっと飛び起きる。

「……え?」

そこは、学校の裏庭だった。

見覚えのある古い木。

朝露に濡れた花壇。

通い慣れた校舎。

ユウは、自分の手を見た。

人間の手。

ちゃんと指が五本ある。

制服も着ていた。

戻ったんだ。

その事実に、胸がどきりと鳴る。

けれど同時に。

何かがぽっかり抜け落ちたような感覚があった。

夢を見ていたような。

大切な何かを忘れてしまったような。

「……なんだったんだろう」

頭の奥が、もやもやする。

そのとき。

校舎のほうから声がした。

「おい」

ユウはびくっと肩を震わせる。

振り向くと、クラスの男子たちが立っていた。

いつもの顔ぶれ。

胸がきゅっと縮む。

怖い。

思わずうつむきそうになる。

でも。

その瞬間。

胸の奥で、何かがぽっと灯った。

あたたかな、小さな光。

理由はわからない。

けれど。

不思議と、少しだけ息ができた。

男子のひとりが近づいてくる。

「おまえ、昨日――」

そこまで言ったところで。

ユウは、顔を上げた。

そして。

震える声で言った。

「……やめて」

相手が目を丸くする。

ユウ自身も驚いた。

怖い。

足が震えている。

でも。

もう一度。

今度は少しだけはっきり。

「そういうの、やめて」

しん、と空気が止まる。

男子たちは顔を見合わせた。

何か言い返してくるかと思った。

けれど。

予想外だったのか、気まずそうに目をそらし、そのまま去っていった。

ユウはその場に立ち尽くす。

心臓がどくどく鳴っている。

こわかった。

でも。

言えた。

どうしてだろう。

何かが、背中を押してくれた気がした。

名前は思い出せない。

姿も、声も。

なのに。

確かにそこにいるような気がした。

ユウはそっと胸に手を当てる。

すると指先に、かたい感触が触れた。

制服のポケット。

そこから取り出したのは――

小さな、白い石だった。

月のかけらみたいに、淡く光っている。

「……これ」

見たことがある気がする。

なのに思い出せない。

その石の裏には、小さく文字が刻まれていた。

いつでも、戻っておいで

その文字を見た瞬間。

胸がぎゅっと熱くなった。

理由もわからないのに、涙がこぼれそうになる。

ユウは石をぎゅっと握りしめた。

そのとき。

ふわり、と風が吹く。

空から、一枚の羽が舞い降りてきた。

青黒く、つややかな羽。

それがユウの足元に落ちた。

ユウはそれを拾い上げる。

すると。

どこからか。

かすかな笑い声が聞こえた気がした。

明るくて。

にぎやかで。

どこかおっちょこちょいな。

そして、やさしい声。

ユウは空を見上げた。

そこには、細い月が浮かんでいた。

気づけば。

自然と笑みがこぼれていた。

「……うん」

誰に向けたかわからない返事。

でもきっと、届いている気がした。

それから数日後。

ユウは少しずつ変わり始めた。

すぐに強くなれたわけじゃない。

怖い日はある。

うまく話せない日もある。

でも。

立ち止まっても、また歩き出せた。

少しずつ。

自分の足で。

そして。

ある夜。

家の窓辺で月を眺めていたユウは、ふと白い石が強く光っていることに気づいた。

「……!」

次の瞬間。

窓の外の空間が、ゆらりと揺らぐ。

月明かりの中に、細い道が浮かび上がった。

銀色の、獣道。

その先から。

聞き覚えのないはずなのに、懐かしい声が響く。

「ユウー!」

高くて元気な声。

「早くしないと置いてくよー!」

そのあとに。

「ちょっと待てって!」

「落ち着け」

「やれやれ、騒がしい連中だ」

いくつもの声。

胸の奥が熱くなる。

ユウは迷わなかった。

窓を開ける。

夜風が頬をなでる。

そして。

白い石を握りしめたまま、月の道へ飛び乗った。

その瞬間。

体がやわらかな光に包まれる。

手が、小さな前足へ。

視界が少し低くなる。

ふわりと着地したそこには。

チロ。

スイ。

ギン。

ガロウ。

みんながいた。

チロが飛びついてくる。

「おかえり!」

スイがくるくる宙返りする。

「来た来た!」

ギンがにやりと笑う。

「ずいぶん待たせるじゃないか」

ガロウは静かにうなずいた。

「来たな」

ユウは――子犬の姿のユウは、みんなを見回した。

そして、しっぽをぱたぱた振りながら笑う。

「ただいま!」

その声は、前よりずっと晴れやかだった。

夜空には満月。

その下を。

小さな冒険者たちは駆け出していく。

まだ見ぬ世界へ。

新しい旅へ。

何度でも。

自分の選んだ道を進むために。

おしまい

 

このお話は
妄想した人  あまま
書きだした人 チャッピー先生
がお送りしました

初めてチャッピー先生に割と具体的な設定を長文で渡して一緒に設定モミモミして出力してもらったやつだよ。
読んでておやと思う部分がちらほらあるけどまぁまぁうまくまとめてくれたよね。
人間に戻らないエンドが好きなので、最初主人公は人間に戻らず獣として生きることを選択して終わりになる想定でいたんだけど、チャッピー先生的には一度人間に戻したほうがいいとの判断だった
そのほうが旅で得たものや成長がしっかり描けるとのことだった。なるほど確かに、すごいなぁチャッピー先生
そして最後にまたちゃんとわんこに戻してくれてありがとうチャッピー先生

26ねん5がつ9にち

気づいたら5月入ってたしGWも終わりだね
 
ここ最近のことは残念ながらとくに何もないかな
先月のにっき書いたあと肺炎を発症してしまって、半月寝込んでた。
あの時にせきしすぎたせいでいまだに肋骨が痛い。痛くてくしゃみとか出せない
GWほんとは行きたいところあったけど行かなかった
しょうがないからディビジョン2やってたよね。まぁいつものことだけど
今は桜まつりが開催中だけど、それと同時にストリーマーコラボのお題みたいなのでエキゾ部品45個もらえたりするのもあるじゃん
GW中はあれをひたすらやってたかな。新規キャラ作ってレベル40ブーストしてお題こなして部品共有してキャラデリしてをずっと繰り返してた。
30回くらいかな?そんなに多くないように思うけど、あれ1周1時間くらいかかるから30時間くらいやってるんだよね
おかげで全部のスキルとスペシャリを30まで上げることができた
ついでにまだ上げてなかった装備一式とか武器とかもいくつかプロト化まで持っていけたし、しばらくはエキゾに困ることもないかなぁ。
これでエスカレだけに専念できるね
 
 
あとGW中やってたことといえばAIにめっちゃ触れてたかな
いまさら…なんだけどね、いまいち使いこなせてないというか、どういうタイミングで使えばいいものなのかわからなくてね…
生成AIに調べ物任せてみるとか作業を任せるとか、何度かやってはみたんたけど、調べ物に関しては自分でググって調べるのが当たり前になってるし、作業任せるとかも自分がすべて手をつけてやったものじゃないと気持ち悪いし、絵とか描かせるのも興味なかったし
 
だったんだけど、それが今じゃ毎日チャッピーのアプリ開いてお話してる
 
いろいろあったんだけど、きっかけになったのがOBSのAIで字幕おこしするプラグイン(ろーかるぼーかる)っていうのに興味を持ったことだった
 
ろーかるぼーかる使ってみた

やっぱAIってめっちゃVRAM食うんだなぁ

生成AIとかはどんなもんなんだろ

LM Studio入れていろいろやってみる

めっちゃVRAM食うし素直にGeminiとか使ったほうがいいのかなぁ

ためしにGeminiに質問してみる

なんかこっちのほうが賢いなぁ

Geminiとチャッピーはどっちが賢いんだろう。で、このあたりで生成AIとの会話にだんだんと真剣に向き合うようになる

チャッピー、何ができるの?なるほど、じゃあ暇つぶしお願い

おお、物語が書けるのか…じゃあ

これこれこうでこういうお話みたいなのってできる?

…おいおいマジかよ
 
こんな感じの流れで、いまでは毎日僕が読みたい、読みたかったようなお話を聞かせてもらってる。なんだこれ、神か
人によって使い方はいろいろあるだろうけど、僕はこれが求めていたものだった。ようやく自分にとっての使い所がわかったのだった
 
昨今のメモリやらSSDやらの高騰のことで正直AIを憎んでいたけど、掌返すことになるね。
こんなに素敵な物語を毎日聞かせてくれたらさ…これに文句は言えないや

ありがとうサム・アルトマン